おはようございます。
実は昨日石巻から帰ってきました。
3月15日(火)に和久魚問屋の阿部社長や会長、その他従業員さんたちの安否確認が取れたので現地へ向かうことを決断しました。
ルートは岩手県の酒田市から国道47号線を抜けて入ることにしました。
福岡から庄内空港に飛ぼうと思いましたが、飛行機が満席で取れません。
諦めて新潟へ変更。エアチケットを取り、次は車の手配です。
レンタカーは被災地へ向かう車を貸してくれないため、買うことにしました。
四駆を探していたところ、新潟空港に車が有りました。
早速連絡を取り車を頼みました。
車屋さんは 「エブリィ空港店」 とても親切な方でした。
車検がなかったため即日車検を取ってくれました。名義変更手続きが出来ないため車屋さん名義で売っていただきました。
「こんな時期だし、被災地の方々のため」 と気さくにOKいただきました。
一応任意保険も取り、救援物資を買いに行きました。
カーナビ、インナー等の衣類、エンジン発電機、ゴム手袋です。
翌日16日(水)に社員を一人連れて福岡空港から荷物を持って新潟空港へ飛びました。
「エブリィ空港店」 の垂木さんが、車で空港まで迎えに来てくれました。
中古車屋さんへ向かい、荷物を積み込こんだ。
親切に垂木さんが40リットルの燃料を準備してくれていました。
東北地方は雪! 購入した車は夏タイヤだったため取り急ぎスタットレスタイヤを探しにカーショップへ向かった。
3月半ばとなるとどのショップにもスタットレスタイヤを在庫していない。
飛行機の到着が夕方であったためカーショップを諦め、友人が郊外の車屋さんで中古のタイヤを発見してくれた。
時刻は午後8時半だったが、ここも気さくに対応してくれた。
そして食料を買い込んで酒田へ向かった。
辺りも暗く寒波による大吹雪、ひたすら酒田に向かい到着したのが夜中の12時半。
このまま山間道は危険だ。また車の燃料も残り少ない。
明日の朝燃料を入れて向かうことにした。
その晩はコンビニの駐車場に車を止めて車中泊した。
翌早朝スタンドに向かうと給油のための長蛇の列。スタンドは未だ開いていないのに・・・
1時間ほど並んでいると店員さんがやってきて、 『今日は燃料が来ないため販売できません・・・』
はぁ・・・
酒田市内や鶴岡市内をあたるが、どこも閉まったスタンドに長蛇の列をなして並んでいる。
「開くのか開かないのか?」 全く読めない。
予定変更!新潟に戻ることとした。
安全タンクを持たないため、 「エブリィ空港店」 の垂木さんに電話した。
『安全タンクが仕入れないんだけど、どこかで手に入りませんか?』
『うちに1個有るので使ってください。またほかの車屋にもあたっときます。』
雪降る中、新潟に引返しだ。
エブリィ空港手に着くと、垂木さんが2個の携帯缶を準備してくれていた。
行く途中、新発田付近の車屋さんにも声をかけてくれていて、ここでも1個を入手。
手元のポリタンと合わせて、80リットル。
十分な量である。ポリタンは危険だが今はそんなことを言ってられない。
満載に積載して、また酒田へと向かった。
国道7号を北上し、村上市の数か所のスタンドで燃料を買える事を知っていたためそこで車に最後の給油である。
満タンにし、酒田へ向かった。
酒田に着くと時刻は夕方6時。福岡と比較すると東北の日暮れもはやく大雪だったため一旦宿泊することにした。
なかなか石巻にたどり着けない・・・
ジレンマだけが心中に響く。
翌朝、5時に起き、出発支度をした。
ここから国道47号を使い古川まで向かった。
ここには和久魚問屋の高瀬さんが避難している。
最上川を横目にひた走る。
走ること3時間半、ようやく古川に到着した。
ここは被災地石巻市の隣町。やはり燃料不足である。
給油は全て前日に配布する整理券が必要だ。
それでも買えるのが10ℓから20ℓである。
高瀬さんと合流し、彼を乗せ108号を走り 石巻へ向かった。
トンネルをくぐりそこは戦火の後のようである。
津波により押し流された家や車。
家はことごとく倒壊している。土地に残るのは恵家の基礎だけである。
倒壊した家や車を避けて、阿部社長が避難する 渡波地区の 「渡波中学校」 へ向かった。
避難所の 「渡波中学校」 に到着した。
屋外では薪をして団を取っている。
炊き出しも屋外の薪である。
中学校の1階と2階部分は浸水したため避難所は3階である。
ようやく、阿部社長と家族全員に会うことができた。
おふくろさんや会長も元気である。
従業員も確認したところ、従業員とその家族も全員無事であった。
ふぅ~ 一安心である。
早速、阿部所長と工場へ向かうことにした。
途中本社が有る 「石巻魚市場」 に立ち寄った。
水揚げ場と荷捌き場は全倒壊である。
岸壁も沈下し船がうち揚げられている。
辺りは 海水とヘドロ、重油が混ざった異臭を放っている。
奥の防波堤にも数隻の漁船が乗り上がっている。
漁連の燃料タンクも流されたようだ。
沖合で難を逃れた漁船は岸壁に係留していいた。
一帯どの程度の船が残ったのだろう?
魚町の水産会社は全て全滅。
浸水や倒壊で建物や設備、入庫品が全て残骸となって残っている。
道路もあちらこちら寸断され残骸や、陥没でまともに走ることが出来ない。
ようやく 和久魚問屋の向上に到着した。
加工場内に車が押し流されてきている。事務所なども跡形もなく、な方倒壊した発泡やコンテナが散乱していた。
被害の確認しようがない状況であった。
しかし、阿部社長や従業員の方々は諦めていない!
彼らはいずれ石巻の代表企業として復活するに違いないと確信した。
阿部社長が避難する避難所では多くの物資をいただいているみたいで、食料や飲料水は充分に足りています。
燃料や乾電池等が不足していますので、物資を送る方は阿部社長に確認してください。
一部地区ですが電話は開通したようです。
彼らの安否は大丈夫なので、必要以上の電話は避けた方がようようです。