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柴田熔接工作所は、もの創りの会社です。

わたくしたちは“信頼”と“安心”を弊社理念とし社員一同お客様の『財産創り』をお手伝いいたします。
“信頼”とはわたくしたちが持つ、ものづくりに対するこだわりと妥協なき製品造りによって積み重ねられた技術と品質だと考えています。

お問い合わせは092-501-9798まで
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小春日和

2011.03.29 10:15

みなさん、おはようございます。

すっかり 「春」 になりましたね。

2011.03.29 1

気温も12~13℃と少し肌寒いが、日が当たると暖かくて気持ち良い小春日和です。

工場周辺も桜のつぼみが花びら咲こうと頑張っています。

この時期は通年、 「花粉」 と 「年度末の追いこみ仕事」 に悩まされぱなし。。。

工場はあふれんばかりの機材と活気に満ちています。

2011.03.29 3

2011.03.29 2

いやいや、毎日大変ですが忙しいとなんだか楽しくなってきます。

今日も工場は早朝から元気な声が聞こえてきます。

「こらーぁ!○○ しっかりせい!」

「いくぞー、1、2、3!」

みんな、頑張ってくれてありがとう!


呆れる最近の報道

2011.03.28 07:17

3月11日の地震発生から2週間を過ぎて18日目となった。

最近では発生当初ほどのTV、新聞の報道も地震関連が少なくなってきた。

そして報道や記事の大半は、「福島原発」 や 「それにかかわる水や農産物の風評被害」一式である。

TV各社や新聞も面白めいた報道や記事を書きたいのだろうが、本当に震災社の事を思っている人間が何人いるのだろうか?

今日見た、ある専門誌では 『○○○社が東北地方の○○地区へ米10俵を届けた』 という記事を見た。

また 『○○○社が義援金○十万を送った』 である。

これらの企業は宣伝のために送っているのではないか?と感じるような記事である。

私は企業が送る数十万~数百万の義援金も、一般の方々が送る数千円の義援金や水やパンなどの救援物資全て思いは一緒である。

現地で被災されている方々や日本全国民は情報に乏しいのだ。

今は復興に向けての政府の動向や、避難勧告情報、いま各被災地で不足している支援物資はなにか?、家や職をなくされた方々への保険や地方自治体の救援方法、もっともっと多くの必要としている情報を流すべきである。

通信インフラも少しずつ回復してきているので、必ず被災してTVや新聞を見れない被災者にも声が届くはずだ!と私は思う。

くだらない企業宣伝は必要ない。またそれに付きまとうTVや新聞はモラルを持った行動として考えているのだろうか?

今回の災害はかなり広範囲に渡っている。

被災地で頑張っている自衛隊やボランティアの方々、企業で支援なさっている方々、福島原発で復旧に努めている方々、海外から来られたレスキューや米軍、ボランティアの方々多くの人々が第一線で頑張っているのだ。

私も大きなことは出来ないが、自分たちや私の会社で出来ることをやって行きたいと願うばかりである。

なにより行方不明になった方々の家族や親友が1日も早く対面することが大切なのだ。

『ガンバレ 日本!』


東北地方太平洋沖地震被害

2011.03.23 09:36

おはようございます。

先週、石巻漁港に行ってから幾分か心重苦しい日々を迎えています。

私が住む福岡博多は地震の影響の影も見えないほど平穏な日々を送っていますが、石巻市の避難所へ避難されている方々や庭先で崩壊を免れた家々を片付けている方々。

今もなお光景が脳裏に焼きつき思い出されます。

今日の新聞で発表された漁船漁港被害。

漁船被害では北海道(716隻)、青森(419隻)、福島(855隻)、茨城(103隻)、千葉(253隻)、岩手宮城は壊滅的な被害のため不明

一方、漁港施設では北海道(20漁港)、青森(16漁港)、岩手(48漁港)、福島(10漁港)、茨城(14漁港)、千葉(10漁港)、宮城は壊滅的な被害のため不明

これは水産庁がまとめた数値であるが全てを確認しているわけではないためまだまだ増えるのではないだろうか?

今回は神戸の震災以上の被害である。

その多くは水産業、農業であり高齢者の方々が多く働いていた職場である。

一体いつから復興の一歩を踏み出すことが出来るのであろうか・・・

今世間では多くの方々が義援金等の支援に乗り出しているが、被災者は何よりも政府が打ち出す復興計画や援助策などの開示が欲しいのではないだろうか。

今日からこの心思い気分を吹き飛ばし、日本人として一刻も早い被災地の方々の笑顔が取り戻せるような復興を願い、また協力をしていこう!


和久魚問屋 阿部社長の安否情報

2011.03.20 11:11

おはようございます。

実は昨日石巻から帰ってきました。

3月15日(火)に和久魚問屋の阿部社長や会長、その他従業員さんたちの安否確認が取れたので現地へ向かうことを決断しました。

ルートは岩手県の酒田市から国道47号線を抜けて入ることにしました。

福岡から庄内空港に飛ぼうと思いましたが、飛行機が満席で取れません。

諦めて新潟へ変更。エアチケットを取り、次は車の手配です。

レンタカーは被災地へ向かう車を貸してくれないため、買うことにしました。

四駆を探していたところ、新潟空港に車が有りました。

早速連絡を取り車を頼みました。

車屋さんは 「エブリィ空港店」 とても親切な方でした。

車検がなかったため即日車検を取ってくれました。名義変更手続きが出来ないため車屋さん名義で売っていただきました。

「こんな時期だし、被災地の方々のため」 と気さくにOKいただきました。

一応任意保険も取り、救援物資を買いに行きました。

カーナビ、インナー等の衣類、エンジン発電機、ゴム手袋です。

翌日16日(水)に社員を一人連れて福岡空港から荷物を持って新潟空港へ飛びました。

「エブリィ空港店」 の垂木さんが、車で空港まで迎えに来てくれました。

中古車屋さんへ向かい、荷物を積み込こんだ。

親切に垂木さんが40リットルの燃料を準備してくれていました。

東北地方は雪! 購入した車は夏タイヤだったため取り急ぎスタットレスタイヤを探しにカーショップへ向かった。

3月半ばとなるとどのショップにもスタットレスタイヤを在庫していない。

飛行機の到着が夕方であったためカーショップを諦め、友人が郊外の車屋さんで中古のタイヤを発見してくれた。

時刻は午後8時半だったが、ここも気さくに対応してくれた。

そして食料を買い込んで酒田へ向かった。

辺りも暗く寒波による大吹雪、ひたすら酒田に向かい到着したのが夜中の12時半。

このまま山間道は危険だ。また車の燃料も残り少ない。

明日の朝燃料を入れて向かうことにした。

その晩はコンビニの駐車場に車を止めて車中泊した。

翌早朝スタンドに向かうと給油のための長蛇の列。スタンドは未だ開いていないのに・・・

1時間ほど並んでいると店員さんがやってきて、 『今日は燃料が来ないため販売できません・・・』

はぁ・・・

酒田市内や鶴岡市内をあたるが、どこも閉まったスタンドに長蛇の列をなして並んでいる。

「開くのか開かないのか?」 全く読めない。

予定変更!新潟に戻ることとした。

安全タンクを持たないため、 「エブリィ空港店」 の垂木さんに電話した。

『安全タンクが仕入れないんだけど、どこかで手に入りませんか?』

『うちに1個有るので使ってください。またほかの車屋にもあたっときます。』

雪降る中、新潟に引返しだ。

2011.03.19 1

エブリィ空港手に着くと、垂木さんが2個の携帯缶を準備してくれていた。

行く途中、新発田付近の車屋さんにも声をかけてくれていて、ここでも1個を入手。

手元のポリタンと合わせて、80リットル。

十分な量である。ポリタンは危険だが今はそんなことを言ってられない。

満載に積載して、また酒田へと向かった。

国道7号を北上し、村上市の数か所のスタンドで燃料を買える事を知っていたためそこで車に最後の給油である。

満タンにし、酒田へ向かった。

酒田に着くと時刻は夕方6時。福岡と比較すると東北の日暮れもはやく大雪だったため一旦宿泊することにした。

なかなか石巻にたどり着けない・・・

ジレンマだけが心中に響く。

翌朝、5時に起き、出発支度をした。

ここから国道47号を使い古川まで向かった。

ここには和久魚問屋の高瀬さんが避難している。

2011.03.19 2

最上川を横目にひた走る。

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走ること3時間半、ようやく古川に到着した。

ここは被災地石巻市の隣町。やはり燃料不足である。

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給油は全て前日に配布する整理券が必要だ。

それでも買えるのが10ℓから20ℓである。

高瀬さんと合流し、彼を乗せ108号を走り 石巻へ向かった。

トンネルをくぐりそこは戦火の後のようである。

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津波により押し流された家や車。

家はことごとく倒壊している。土地に残るのは恵家の基礎だけである。

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倒壊した家や車を避けて、阿部社長が避難する 渡波地区の 「渡波中学校」 へ向かった。

避難所の 「渡波中学校」 に到着した。

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屋外では薪をして団を取っている。

炊き出しも屋外の薪である。

中学校の1階と2階部分は浸水したため避難所は3階である。

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ようやく、阿部社長と家族全員に会うことができた。

おふくろさんや会長も元気である。

従業員も確認したところ、従業員とその家族も全員無事であった。

ふぅ~ 一安心である。

早速、阿部所長と工場へ向かうことにした。

途中本社が有る 「石巻魚市場」 に立ち寄った。

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水揚げ場と荷捌き場は全倒壊である。

岸壁も沈下し船がうち揚げられている。

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辺りは 海水とヘドロ、重油が混ざった異臭を放っている。

奥の防波堤にも数隻の漁船が乗り上がっている。

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漁連の燃料タンクも流されたようだ。

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沖合で難を逃れた漁船は岸壁に係留していいた。

一帯どの程度の船が残ったのだろう?

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魚町の水産会社は全て全滅。

浸水や倒壊で建物や設備、入庫品が全て残骸となって残っている。

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道路もあちらこちら寸断され残骸や、陥没でまともに走ることが出来ない。

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ようやく 和久魚問屋の向上に到着した。

加工場内に車が押し流されてきている。事務所なども跡形もなく、な方倒壊した発泡やコンテナが散乱していた。

被害の確認しようがない状況であった。

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しかし、阿部社長や従業員の方々は諦めていない!

彼らはいずれ石巻の代表企業として復活するに違いないと確信した。

阿部社長が避難する避難所では多くの物資をいただいているみたいで、食料や飲料水は充分に足りています。

燃料や乾電池等が不足していますので、物資を送る方は阿部社長に確認してください。

一部地区ですが電話は開通したようです。

彼らの安否は大丈夫なので、必要以上の電話は避けた方がようようです。


安否情報

2011.03.15 05:59

みなさん、こんばんは。

昨日、今日と多くの方から 「和久魚問屋」 の阿部社長の安否確認のお問い合わせをいただきました。

やはり、阿部社長は多くの方々から慕われてるんだなぁ~

と再考させられました。

和久魚問屋さんの安否情報です。

阿部社長 ⇒ いま渡波中学校に非難しています。(娘の美保ちゃんと一緒です)

息子さんの和久くん、分かりません。

阿部会長 ⇒ 無事です。

おふくろさん ⇒ 無事のようです。

柳橋さん、高瀬さん、渥美さん、ゆうきさん ⇒ 無事です。

安東さん、りゅうさん ⇒ 連絡取れていません。

みなさん、心配でしょうが先ずは待つしか有りません。

安東さんとりゅうさん、はやく見つかってほしいです。

どなたか、連絡取れた方は情報をください。

小生、明日から所用で出かけますので2~3日連絡取れません。

戻り次第、ブログをアップいたします。


東北地方太平洋沖地震 Tohoku Pacific ocean earthquake

2011.03.12 10:14

昨日大きな地震が発生した。

会議中一報を受けた私は、地震のニュースを見て驚いた。

「淡路大震災」 や 「玄海沖地震」 を体験した私は直感でその被害の大きさをすぐに飲み込むことが出来た。

慌てて、親友の阿部さんに連絡を取るが、なかなか取れない。

そう彼の家と事務所は石巻の港にあるのだ。

とりあえず、彼にはメールを送り彼の社員にも連絡を取った。

何度も何度も連絡していたら、かろうじて非難した一人と連絡付くことが出来た。

奇跡である。

地震の状況、津波の状況や工場や事務所などの事を聞いた。

それ以前に彼らも他の社員や家族と連絡が取れない、とても心配である。

そんなところ夕方4時ごろだろうか・・・

阿部さんからメールが届いた!

「いま、学校に非難している」

また奇跡が起こった。

とりあえず、安否確認が出来たので安心した。

彼の社員にそれを伝えて、彼らも一安心。

しかし、これからが大変である。

その被害を目の当たりにし、そして復興しなければならない。

私は私の会社全力をあげて彼の会社の復旧を手伝わなければならない。

共にがんばろう!

そして、彼の事を心配して電話をくれた国内や海外の方々にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

A big earthquake appeared yesterday.
I who caught a report during the conference was surprised that I saw seismic news.
I who experienced “Awaji big earthquake” and “Fukuoka Genkai earthquake” could swallow the size of the damage soon by intuition.
I can’t take myself easily though I get flustered and I make contact to Abe san, the good friend.
So, his house and an office are in the port of Ishinomaki.
First of all I sent mail to him, and made contact to his staff as well.
I made contact with me many times. Then, I could have contact to the his staff.
It is a miracle.
They heard seismic conditions, the conditions of the tidal wave and a thing such as a factory and an office.
They can’t take contact with other staffs and the family, either. It is very much worried.
Mail was received from Mr./Ms. ・・・ Abe if it was probably about 4 o’clock in the evening at such time!
“Now, they criticize it in school.” A miracle happened again.
First of all, they were relieved because they could do safety confirmation.
It is transmitted to his staff, and they are relieved, too.
But, it is difficult from now.
We make the damage the hit of the eye, and then we must reconstruct it.
I give it my company best, and I must help the restoration of his company.
Let’s do your best together!
Then, we are afraid of his thing, and tell everyone in the world which gave me telephone of the thanks.
Thank you.


海外出張(後編)その2

2011.03.02 03:52

みなさんこんにちは。

今日が帰国日♪ いよいよイタリア最終日となりました。

ヴェニスでは思いっきり海鮮イタリアンを堪能してきました。

パスタが 「美味い」

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2011.03.02 2

 

昨日はヴェニスから車で40分ほど走った、パドバと言うところに行ってきました。

ここには私の会社が取引する 「CAREL s.p.A.」 があるのです。

I社長、N社長、A社長を引き連れ工場見学と打合せです。

CAREL社とはドイツの展示会場で技術者と十分打合せしてきたので 『午前中で終わるかな?』 と多寡をくくっていたのが大間違い。

社員が帰宅する6時過ぎまでぎっしりと打合せとなりました。

おかげで 「へとへと」 です。

Carelのマルティーノとシモーネが食事に行こうということで車で市内まで行き、先ずはホテルのラウンジで 「一杯」 ♪

2011.03.02 4

ふうーっ! 格別です。

レストランで地元料理をいただきホテルに戻ります。

一日疲れ果てて、あえなくベットへ直行しました。

さぁー 今日一日、楽しもう!


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